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富岡製糸工場を見学
画像 263.jpg
みなさん、こんにちわ。
毎日暑いですね〜
先日、群馬県吉井町にお墓参りに行ってきましたが
ついでに歴史の教科書に必ず出てくるあの富岡製糸工場を見学してきました。
富岡製糸工場(群馬県富岡市富岡1−1)電話0274−64−0005。
入場料は大人500円。
見学は9時から17時まで。
受付は16時30分までです。
一時間おきにガイドさんによる無料の説明付ツアーがあります。
ゆっくり見学して1時間くらいですね。
工場の敷地内に駐車場はありませんが工場の西側の一方通行の道ぞいに無料駐車場があります。
工場の入り口から約500Mくらい歩きますが。
ココが日本工業のルーツ、だそうです。
それがどういうことかというと、
明治5年創業のこの日本初の近代工場を大成功させたことで外貨を稼ぎまくり
その後明治中期くらいまでの財政基盤を作ったということと、
同様の手法で鉄鋼業やさまざまな産業を興した基本モデルになったという2点からだと思います。
基本モデルとは、当時の世界最新の機械と最高の外人技術者、ベストなロケーションに

世界最大級規模の工場を建て、世界最高品質の製品を大量に作る、という点においてです。
雇ったフランス人技術担当の給料は、なんと閣僚級だったとか。
為替の関係もあるがかなりの高給だったことには違いあるまい。
富岡工場は企画段階から一貫して高品質な製品を作るという目的に意思統一されていて

そのためにかけるべきところにお金と人材をたっぷり使った。
初期投資がかさんだとしても世界最高品質の製品を大量に高く売ることでわりと短期間に回収できる。
当時欧米の養蚕業は虫の病気の大流行で壊滅していて
高品質のシルクの安定供給先を求めていた欧米とも利害が一致していた。
中国でも養蚕はしていたが政情不安だったし品質も安定していなかった。
そのため創業当時は世界的に、高品質なシルクを作ればいくらでも売れる状況にあった。

また富岡製糸工場には技術学校的な役割もあってココで技術を学んだ工員は技術者として全国各地に散らばり
同レベルの製品を作れる中小工場を作ったりして日本の技術全体の底上げにも成功したそうな。
養蚕は綿花と違って生糸の生産でも繊維の生産でもそれなりに技術がいるし、手間もかかるが
高品質なものを作ればとても高く売れる、裾野が広いので川下のアパレルまでたくさんの人間を養える
当時の日本にはぴったりの産業だったようだ。
シルク自体が高級品だしね。
さらに10年くらい稼動させたら民間に払い下げてしまい
当時日本にあまりなかったメーカーである大企業を作ることにも成功している。
まったく、実にうまくやったよなあ。
実際明治中期まで外貨の大半は養蚕で稼いでいて
明治後期には世界最大の養蚕国になったそうな。
鉄道とかのもろもろの社会資本やら
ロシアに勝ってしまう軍隊やらを作って維持管理するカネのほとんどを
これを元にして稼いだんだからすごい。
日本人が働き者であることも事実だが
こういうことのグランドデザインをした明治の人は本当に天才としか言いようがない。

またそれにゴーサインを出した政府首脳の気合、というか度胸もすごいです。
上信電鉄も元々生糸の輸送を目的に敷設され片手間に人を乗せてたようだ。
富岡製糸工場は鉄道も含め世界遺産に(暫定的に)決定されている。
ただ、1987年で生産自体はやめてしまい今は世界遺産として保存されているが。
そのせいか、敷地内にジュースの自販機が一台もなかった。
売店にもジュースは置いてません。
暑い日には飲み物を持参していかないとかなりキツイです。
女工の待遇はとてもよかったので応募者多数で狭き門だったがさらに良家の子女しか採用しなかったそうな。
ただ募集初期は「外人は若い娘の生血を飲む」というデマが流れまったく応募がなかった。
どうやら赤ワインを飲んでいる欧米人を見た地元民が誤解したものらしい。
やむなく日本人工場長が自分の娘を女工第1号としたことで皆の誤解を解いたとの事。

ちなみに僕の祖母(おツルばあさん)も富岡ではないが近くの官営製糸工場で女工をしていました。

いまだ景気の回復が実感できない日本ですが
こういう時こそ、日本人のモノ造りの原点に帰って見るのも一つかもしれません。
今の時代、安物なんぞいくら作っても儲からない。
安物を作る所なら他にいくらでもありますから。
そうではなく、2番手以降のメーカーが追いかけるのをあきらめるくらいの
うんと高品質なモノを作ってとびきり高く売れば儲かる。
「良い品を安く売る為のモノ作り」と「最初から単なる安物を目指して作る」のでは
まったく意味が違うし結果も違う。
工業国日本の、偉大な第1歩となった富岡製糸工場がそう言っているような気がしました。

author:18期代表 梅原, category:18期情報, 01:32
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