皆さん、こんにちわ。
今日もまたえらく暑いですね〜。
熊谷では最高気温40.9度で記録更新だそうでどうなってるんでしょうかね。まったく。
グチっても仕方ないですけど。
そんな暑い中、こちらのブログで新シリーズが始まります。
かつての秋川高校の先生にいろいろインタビューし先生には忌憚なくお答えいただく「直撃!!シリーズ」です。
第1回は「直撃!!服部正平先生」です。
2007年8月16日午後、埼玉県川越市の服部先生ご自宅にて直撃インタヴューをしました。
質問(以下Q):まず、いつごろから秋川に赴任されたんですか?
先生(以下先):昭和42年4月だ。 3期を3年間見て、6期を1年、7期を3年、11期を3年、18期を3年だ。
昭和61年3月まで全部で19年間秋川にいたよ。あと柔道部を阿部先生と一緒にみたよ。
Q:赴任当時はおいくつですか?今年おいくつですか?
先:当時は36歳。今年で76だ。
Q:秋川に住んでいたのは?
先:赴任時から8年職員住宅に住んで、そのあとは川越から秋川まで通勤したよ。
Q:もっとも印象に残ったのは何期生ですか?
先:それぞれの期に思い入れがあるね。印象に残ったというか、しいていえば7期の高校紛争の時かな。
いろいろあったからなあ。
Q:秋川で良かったことはなんですか?
先:寮生活で生徒と寝食を共にして共通の理解が得られて・・常に楽しかったなあ。私も学生時代寮にいたが寮が好きでね。
Q:ではイヤなことは?
先:退学者を出す事だよ。最近はそうでもないらしいが、退学してしばらくしてから親御さんと挨拶に来るだろ?
そんな時は「星影のワルツ」を歌ってあげたもんだよ。
♪〜別れることは辛いけど、仕方がないんだ君のため、別れに星影のワルツを歌おう〜♪
Q:・・・・・。
先:秋川高校生の良さは集団の気持ちがわかること。やさしくなれる。威張らない。人の気持ちがわかる。
あと、皆意外と美人の奥さんもらうんだよなあ。それも全部同じタイプだよ。
色白でぽっちゃりしていて、かわいい・・
Q:あの〜例外もあるような気が・・。僕には美人の美の字もありませんけど。
先:ほーほっほ(笑い)。あと友情が深いんだ。がっしり抱き合うなんて他の高校じゃ絶対にないよ!
Q:・・・・。
先:あと、大学とかで部活の合宿とかいくだろ?最後までペースを崩さず生き残るのも秋川の強さだね。
はしゃぎもせず、たんたんとやるらしい。共同生活に慣れてるからな。鍛えられたから。
みなそれぞれ思いいれもあるようだけど、ももう一度玉成寮で生活しろって
言われたら絶対できないって全員言ってるらしいよ。
Q:僕は今でも全然OKですよ。メシも風呂も毎日決まった時間に用意されててとっても便利!
先:・・・・・。
Q:では先生はもう一回舎監をやれといわれたらやりますか?
先:やるよ!!体力さえもどればぜひやりたいね。
Q:では秋川にこうしたらもっと良いとかってありますか?
先:規則をもう少し柔軟にしたらいいんじゃないかなあ。
Q:2キン(2回謹慎)で退学を3キンにするとか?
先:いや、それはともかくだ・・。いろんな規則があるだろ?それを各学年でそれぞれにあわせた規則にするとか。
理想は生徒と職員で話し合っていろいろなキマリを作れたらいいね。ホント、理想なんだが。
色々こうしたいとか、新しく始めたい事もあったんだが
結局は規則によって生徒と職員の間に壁ができてしまってたからな。
Q:そうなんですか・・・。
先:18期はまだ良いほうなんだよ。秋川の初期のころは細かい規則がたくさんあったんだ。
Q:どんな規則ですか?
先:例えば、寮のロッカーがあるだろ?あそこの引き出しの中に入れるハンカチ・靴下とかの位置も全部決まってたんだ。
Q:え〜?本当ですか?始めて知りました。
先:そういうのがたくさんあったんだ。でも7期の時にそのたぐいのキマリはほとんどなくなったな。
Q:そうだったんですか。それでは最後に秋川高校生の全てのOBたちに一言お願いします。
先:・・・ふむ・・・そうだな・・公立の全寮制高校で青春期をおくったことについてのプラスの面をもっと大事にしなさい。
Q:わかりました。今日は長時間ありがとうございました。
今年76歳とはとても思えないほど元気な服部正平先生(国語)でした。
次回はどなたにいつインタビューするかは今のところ未定です。
好評ならばまた時間を作って突撃したいです。
それではまた!!